大学受験で合格できる勉強法

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はじめに

はじめに私の簡単な自己紹介をさせていただきます。

大学受験勉強を始める前

小学校・中学校のときは比較的勉強はできたほうでした。 小学校・中学校共に公立で、特に勉強に力を入れるでもない、ごく普通の学校でした。 学校の中には一部、中学受験・高校受験のために必死で勉強している人もいましたが、 大多数の人はほどほどの勉強かほとんど勉強しない、といった人たちばかりでした。 それよりも部活動等が盛んで、体育系の部は強い部が多かったです。 中学生のとき、私はサッカーに熱中していて、勉強はというと、まったくやっていませんでした。 学校の授業はちゃんと聞いていたのですが、それを家に持ち帰るということはしませんでした。 それでも学校の授業だけで中学校まではなんとか勉強で遅れをとることなく、、 成績も比較的上のほうでした。

高校に入ると、状況が一変します。 私の進学した高校は、地元の公立高校で、あまり学力レベルは高くないのですが、 その中の進学クラスでした。偏差値でいうとだいたい50前後ぐらいだと思います。 高校に入って勉強に全くついていけなくなったショックは今でもはっきりと覚えています。

高校で習う内容は、中学校までのそれとは明らかに違うと感じました。 勉強の中で覚えないといけないこと、思考を凝らさないとわからないことが一気に増え、 とてもじゃないですが学校の授業だけではまったくついていけなくなりました。
ですが、特に危機感を持っていませんでした。というのも、当時私は一番遊びたい盛りで、 遊んでいてとにかく楽しかったのです。
学校から帰ってすぐに、意味もなく友達と繁華街に出てみたり、友達の家でマージャンやゲームをしたり、 ひどい時期は学校を途中で抜け出してそのまま遊びにいっていました。
それはそれとしていい思い出なので、今でも後悔は全くしていないのですが、 成績は落ちる一方でした。 私の高校では定期テストの度にクラス内順位が発表されていたのですが、高校2年になるころには 常に40人中下から数えて5人には入っている状況が続きました。

しかしそれでも、高校2年生までは強い危機感はなかったのです。 枠にとらわれずにだらだらと遊ぶ楽しさを知ってしまって、 むしろ物事を真面目一筋でやることが馬鹿らしいとさえ当時は思ってました。

意識が変わり始めたのは、高校3年生の春頃でした。 それまでのいい加減な生活は楽しいと感じつつも、 どこか虚しさを感じていた日々でした。 「自分はこのままの生活を続けていたら間違いなくつまらない人間になるな」という 恐怖がずっとあったのです。それ以前は、現実を見るのが怖くて、楽なほうへ楽なほうへと逃げていたのですが、 高校3年生になり、進路のことを考えなくてはいけない時期に差し掛かると、いつまでも逃げてはいられなくなりました。

ちょうどその頃から、せっかく受験という人生の転機を向かえているのだから、これを機に自分をいい方に変えたいと思うようになりました。 どうせなら大きな目標を持ったほうがいいと思いました。その当時の学力で入れる大学というと、あまり多くなかったのですが、 自分の性格からして、「目標を低くすると、どうせまたちゃんと勉強をしないようになって、入れる大学があるかどうかすら危うくなりそうだ」という 危機感があったので、壁は高いほうがやる気が出るだろうと考えていました。

志望校は京都大学に決めました。当時私は京都府に住んでいたので、近くて権威のある大学ということで、 あまり迷わずに志望校を決定しました。

独学で勉強することに

私は昔から、物事に対して真剣に取り組むことが少なかったのですが、 一度決意すると没頭できる性格でした。 そのため、京都大学に合格したいと思うようになってから 行動に移すのは早かったように思います。早速赤本を買って過去問を見たのですが、 当時の偏差値はおよそ45~50ぐらいということで、解けないどころか、 問題を解く糸口さえ全くつかめませんでした。 しかし、不思議と悲観的な気持ちは無く、逆に「もしこの問題を自分がスラスラ解けるようにになればそれは面白いな」 と思うようになり、ますますモチベーションはあがりました。

1年で偏差値を劇的に上げなければいけないという無謀なチャレンジだったので、 周りの受験生と同じペースで勉強していたのでは全く話にならないということはわかっていました。
そこで私が考えたのは、塾や予備校に頼らずに独学で勉強するということでした。 塾や予備校の方が効率よく勉強できるのはわかっていましたが、 塾や予備校では各々カリキュラムを消化するペースというものがあります。 このペースで勉強していたのではどう考えても間に合わないのです。 独学でこれらを上回るペースで勉強しないと合格は無理だと判断して、 塾や予備校には頼らないことに決めました。 あと、自宅が田舎だったので、一番近い有名予備校でも距離がかなりあったので、通う労力とお金がもったいないな という理由もありました。

この独学で勉強しようという判断は、今から考えるとあまりにも無謀といいますか、 考え自体が浅はかだったなと思いますが、後で書くとおり、結果としてはこの判断が 大きくプラスに働くこととなりました。

勉強のやり方がわからない

そんなわけで高校3年生の4月からは、受験に向けて、学校から帰ってきては家で夜中まで勉強する日々が始まりました。 それまでの遊び友達ともほとんど遊ばなくなり、週7日勉強するようになりました。 通常、努力する癖がついていない人間が急に物事に集中するのは難しいと思いますが、 当時の私の場合、超えようとしているハードルが高いせいもあって、人の数倍はやらないといけないという気持ちが強く、 細かいことは考えずに取り組むことができました。あとから思ったのですが、 人間は追い込まれると通常時よりはるかに大きな力が出るものだなと、当時を振り返ってつくづく感じます。

ところが真剣に勉強を始めてみて最初の大きな壁にぶちあたるのです。「勉強のやり方が全くわからない」のです。 当たり前といえば当たり前です。今まで真剣に家で勉強をしたことがなかったわけですから。 英単語を覚えようとしても、覚えては忘れての繰り返しです。 数学でわからないことが出てくればそれ以上先には進めなくなってしまっていました。
『勉強法は勉強をしていく中で手探りで見つけていくものです。』勉強の経験が圧倒的に少なかった私に効率のよい勉強法 など身についているはずはありませんでした。

このままでは埒が明かないと思い、当時から受験生への勉強方法論で定評のあった和田秀樹さんの書籍を何冊か 読むことにしました。基本的な心構えから「英単語は文章の流れの中で覚えなさい。」「数学は暗記だ」など、 具体的な勉強法まで、和田さんの方法論は当時の私にとっては目から鱗な内容で、その後勉強をする上での礎となりました。 和田さんの書籍にある内容は、人間の記憶力を高める方法としてとても理にかなっていて、受験から離れて久しい現在でも様々な 場面で役に立っています。和田さんの書籍を手に取ったことが無い人は、一度読んでみて決して損は無いと思います。

覚えたことはすべて一冊のノートに書込み⇒毎日復習

当時私には、とにかく時間がありませんでした。人と同じペースで勉強していたのでは間に合わない、 人の数倍のペースで成果を出す必要がありました。 一方で、人の数倍の時間勉強するというのは物理的に不可能なので、 自然と勉強の質に強いこだわりを持つようになりました。

勉強をする傍らで、少しでも早く確実に知識を身につける方法を探すためにいろいろな本を読みました。 その中で得た知識の中で一番重視したのが、『人間の忘却のメカニズム』です。 人間の脳というのは、記憶したことの大半は忘れるようにできています。 もしそうでなければ、自分が見たもの、感じたものすべてを脳に蓄積していくことになり、 あっというまに脳の容量を超えてしまうでしょう。
当然ながら、この「脳は覚えたものを次々と忘れていく」という性質は勉強をする上でも非常に困ります。 受験勉強では、覚えたことを忘れないことが一番重要なわけですから。
誰でも覚えたことをすべて脳に蓄積するなんてことは不可能です。しかし、 忘れにくくする方法はあります。「何回も何回も反復して覚える」ことです。

人間、学習した内容を3日間そのままにしておくと、覚えた内容の80%を忘れてしまいます。 つまり、英単語を100個覚えたとして、一度も復習しなかったとしたら、3日後にはだいたい80個は忘れてしまうということです。 こんなやり方をしていたのでは効率が悪いというのは明らかでしょう。しかし、3日の間に何回も反復して覚えなおせば 話はぜんぜん違ってきます。反復の回数・質にもよるでしょうが、3日後に覚えた内容の90%を覚えていることも十分に可能です。
そして、1ヶ月忘れずにいた知識はその後、半年・1年経過してもほとんど忘れないということを知りました。 そのため、私は覚えた知識を1ヶ月間忘れないようにすることに強くこだわるようになりました。

高校3年生の夏ごろ、本格的に勉強を開始して4ヶ月経った ころには、上記のような「復習の大切さ」がなんとなく体で理解できるようになってきました。 1日に10時間勉強するとすれば、そのうち5時間は復習にあてるようになりました。 新しい内容を勉強する時間は全体の半分ということです。一見学習速度が遅く見えますが、 そのかわりに学習内容の8割~9割は確実に身についていきました。 これは、全く復習をしないで勉強している人が、覚えた内容の大半を忘れてしまうことを考えれば、 圧倒的に効率のよい勉強方法です。
具体的な復習の方法は、覚えた内容、理解した内容をすべて1冊のノートに書いていき、毎日それを読み返すというものです。 ノートには全教科の勉強内容を1冊に時事系列にまとめて書いていました。教科ごとにノートを分けるもいいですが、 そこは個人の好みの問題だと思います。私の場合は教科は関係なく、覚えた順に並んでいるほうがわかりやすいと思ったので 1冊にすべてまとめたまでです。具体的な方法はなんでもよく、とにかく復習をスムーズに行えるならなんでもいいと思いました。 ノートは1週間に1冊消費するペースで使っていました。

高校3年生の夏休みに入り、1日中家で勉強をする日々が続きました。 毎日起きては勉強ばかりして寝るだけの生活でしたが、自分の中で勉強方法が確立しはじめたころでもあり、 成果も少しづつですが目に見えて出るようになってきたので、苦しい時期ではありましたが、一番充実感があった時期でもありました。

偏差値27のショック

高校3年生の8月下旬に河合塾の 京大模試という、問題も受験者も本番さながらの模擬試験があります。 受験勉強を始めて5ヶ月という短い期間でしたが、それまでの成果を試す格好のチャンスということで、 わくわくしながら受けました。しかし、予想を遥かに超える出来の悪さで愕然としました。全科目総合で脅威の偏差値27という 数字が出ました。受験者数5000人強で下から8番目の成績です。

この試験は受験者がほぼ全員京大志望者ということで、母体の平均レベルは高く、偏差値55前後が合格のボーダーラインという模擬試験 です。まだ勉強を始めて5ヶ月ということで、偏差値40も取れればいいかななどと思いながら望んだのですが、 結果は目標に遥かにおよばないものでした。数学・物理・化学は一桁の点数、当時勉強時間の半分を費やしていた英語ですら 偏差値がやっと40を超えたぐらいでした。

このショックは大きかったです。一度絶対に諦めないと誓ったものの、さすがに心が折れそうになりました。 というのも、通常の模擬試験では成果が出始めていたからです。受験勉強を始めた当時、通常の模擬試験の偏差値が およそ50だったのが、5ほど伸び、5ヶ月でおよそ55まで伸びていたからです。 目に見えて力がついてきていたので、少しぐらいは通用するだろうと思って望んだのですが、まさかここまで問題が解けないとは 思いませんでした。

原因は明らかで、勉強を全くしていない単元やあるいは勉強が手薄だった単元でほぼ1点もとれていなかったことでした。 通常の模擬試験であれば、自分が弱い単元であっても、多少の点は取れるものですが、京大模試では全く通用しませんでした。

そんなわけで、やるべきことははっきりとわかりました。入試本番まで全教科すべての範囲を一通りマスターすることです。
実際問題、最後の2~3ヶ月はどうしても応用問題を解く時間にあてたいので、なんとか11月までにすべての範囲を勉強 しようと思いました。
これはかなり時間のかかることですが、もうやるしかありません。 9月から11月まで、受験の全範囲をマスターするために死ぬ気で勉強しました。 家では帰ってから寝るまですべて勉強、それこそトイレでも風呂の中でも勉強のことばかり考えていました。 また、あまり褒められたものではありませんが、学校でも授業を聞かずにずっと自分で勉強(いわゆる内職)をしていました。 この様子は周りから見たら気持ち悪かったと思います。実際「お前最近ちょっとおかしいぞ」と言われたことも何回かありました。 鏡で自分の姿を見ると、以前より目が釣りあがっていて、なんというか人間的でない顔になっていたのには自分でも気がついていました。

しかし、そんなことも気にしてはいられませんでした。せっかくここまでやったのだから、結果を出すまでは諦められないと思い、 英語3ヶ月、数学を2ヶ月、物理を3週間、化学を3週間かけてなんとか全範囲一応学習を終えました。
具体的にやったことは、とにかくどんどん参考書を読み進め、それを入試本番まで絶対に忘れないつもりで何回も反復、 参考書を最後まで終えたらまた同じ参考書を一から読み直しました。こうして同じ参考書を3回繰り返して勉強しました。

12月には通常の模試で偏差値69、京大模試(11月)では偏差値45まで伸びました。 正直、生きた心地のしない3ヶ月でしたが、 未だにこの時期が人生で一番努力時期じゃないかなと自分では思っています。

ラストスパート

なんとか入試の出題範囲すべてに対応できるようにはなりましたが、 志望校合格にはまだ圧倒的に応用力が足りませんでした。 京大の入試問題にははっきりとした特徴があり、多くの科目で、問題の分量は少ないかわりに、 解くのに非常に深い思考力を要する問題が大半を占めるのです。 たとえば英語であれば120分の試験時間の中で、和訳を6~8箇所と英作文を2問解くだけです。 分量としては非常に少ないのですが、頭を使わないと解けない問題ばかりで、和訳であれば、 直訳では意味がわからない文章になってしまうので、うまく慣用句などに言い換える必要があったりするのです。
こういう問題に対応するためには、一通りマスターしただけの薄っぺらい知識ではまず太刀打ちできません。 英語にしても数学にしてもその他の科目にしても、同じことを違う角度から何度も何度も考えることによって理解を深めて、 難しい問題に対応できる力をつける必要がありました。
12月以降は、比較的難しい問題にたっぷり時間をかけて理解するようにしました。たとえば、数学であれば、 難問を1問解き、回答を見る時間も合わせて1問あたり2時間前後はかけてじっくりと考えるようにしました。

結果

1月のセンター試験を受け終わり、京大(工学部工業化学科)の合格判定は「C」でした。少し点数が足りませんでしたが、 京大ではセンターの配点は小さく、2次試験が合否の鍵を握るので、まずまずかなという感想でした。 2月25日、2次試験当日の京都は雪でした。京都はめったに雪が降らないのですが、 大事な試験本番に限って雪が積もっていました。そんな中、試験が雪の影響で予定より少し遅れて始まり、 数学、物理、英語、化学と2日間かけて問題を解きました。 出来は自分の中ではまずまずという手ごたえでした。

2日目が終わり、1年間に渡る勉強漬けの日々が終わったと思うと、体の力が一気に抜け、 開放感というよりも、心が空っぽになり何かの抜け殻のような気分でした。 入試が終わってから合格発表まで2週間は、やりたいことも特に無く、ほとんど何もしないでだらだら と過ごしていました。もう何をするエネルギーも残っていなかったように思います。

そして合格発表、私の受験番号はありませんでした。

不思議と落胆の気持ちはあまりなく、 不合格だったにもかかわらず、なぜか達成感のようなものがありました。 結果はダメでしたが、1年間で目標におしいところまでは到達できたという自負だったのかなと思います。

そしてすぐにもう1年勉強して同じ目標を目指すことにしました。

2年目の勉強

こうして浪人することになったのですが、前年の1年間、独学で勉強した中で培ったものは相当大きかったなと感じました。 勉強する中で今の自分がやるべきことを自分で見つける力が自然とついていたように思います。

浪人中はアルバイトをしながら、現役の時と同じように独学で勉強しました。 また、自分の将来やりたいことを考えた上で、理系から文系(経済学部)で受験することにしました。
前年合格できなかったのは、難問に対応できる応用力が足りていないからだと感じていたので、 浪人中はひたすら難問を時間をかけて解く練習を繰り返しました。
数学は「大学への数学」という受験で出題されるよりも少し難しい問題を扱った雑誌の問題に挑戦し、 英語は英文の小説(「老人と海」「怪盗ルパン」など)を訳しながら読む、といった風に、入試よりも難しい内容に慣れる ことで、応用力がつくと考え、ひたすら練習しました。
このころになって初めて勉強ってなかなか面白いなという気持ちが芽生え始めました。 「好きこそものの上手なれ」とはよく言われますが、勉強をろくにしたこともない頃は、勉強なんて面白いと 思うはずはなく、それでもやっていたのはただひたすら「苦痛に絶えながらやっていた」に過ぎません。
勉強を面白いと思えなかったのも無理はありません。勉強の面白みは「知識が増えること・理解が深まること」に あるのであって、やってもやっても頭に入らないことをやっていても面白いはずはありません。 ですから、勉強を面白いと思えるようになるには、ある程度勉強をして勉強のやり方を習得する必要があります。 これは何をやる上においても言えることだと思います。スポーツ、料理、趣味・・・・何においても少しかじっただけで 本質(本当の面白さ)に触れることはできないのと同じことだと思います。 私の場合、大学受験勉強2年目にして初めて、自分のやるべきことと、やっていて楽しいことが一致するようになり、 この頃からは楽しみながら勉強することができました。

2年目の入試では、合格最低点を100点以上上回って合格することができました。 2年目は成績が大きく伸びましたが、2年目は苦しかった記憶はあまりなく、 むしろ1年目に無理やりでも苦労したやった分が、2年目になってようやく生きてきたのだと考えています。

さいごに

ずいぶん長くなってしまいましたが、以上が私の大学受験までの経緯です。
別に自慢がしたい気持ちは全くありません。
一番言いたいのは、「勉強のやり方さえわかっていれば、やった分だけ成績は伸びる」こと、 そして「勉強のやり方はある程度勉強した人でないとわからない」ということです。

自分で言うのはおかしいかもしれませんが、私は中学校までは勉強をしていなくてもある程度成績はよかったです。
しかし、それには大きな落とし穴があり、「勉強をしなかったため、いざ本気で勉強をしようと思ってもやり方がわからなかった」のです。 もっと一般化して言うと、努力したことがない人は努力の仕方がわからない、といったところでしょうか。 努力の仕方がわかるというのは大きな力だと思います。 私の場合は、遅すぎるかもしれませんが高校3年生になって初めてこのことに気がつくことができました。
ここまで読んでくれた人の中には、今まさに大学受験に向かって突き進んでいる人も多いことでしょう。 もし、なかなか勉強の効果が出ずに悩んでいる人がいれば、勉強のやり方に強くこだわってみてください。
あぁでもないこうでもない、といろいろ試しながら思考錯誤してみてください。「このやり方なら1ヶ月間で英単語を500個忘れずに いられた!」など、実際の勉強の中でいろんな方法を試してみてください。 ここで書いたのはあくまで私の性格・個性に向いたやり方なので、誰にでも当てはまるやり方ではないと思います。 自分に一番向いたやり方は自分で見つけるのが一番です。 いい方法が思いつかない場合は、書籍を参考にするのもいいと思います。 苦しいかもしれませんが、いろいろ試しながら自分なりの答えを探してほしいと思います。
何か答えがつかめた頃には、勉強が楽しいものになっているかもしれません。そうなればしめたものです。

それでは皆さんの健闘を祈っております!

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